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S-3. 書評:ジャズピアノ教本ガイドブック。1936年から現在まで、河合明、河合考治

 投稿者:S,K.  投稿日:2019年 7月11日(木)05時03分5秒
  検索すると
2018-09-08
ジャズピアノ教本
本書は1936年以降、日本及びアメリカで出版されたジャズ・ピアノ教本(作・編曲、理論書も含む)について紹介しています。ジャズ教本創成期(?)の今では入手しにくい絶版書もなるべく紹介するようにつとめました。尚、掲載した本は著者が実際購入し、弾いてみた教本だけに限らせていただきました。それはアルバム評と同じように聴いていない音楽を批評することなどできないからです。従ってジャズ・ピアノ教本史(?)全体において、重要と思われる教本、教育者や学習者の間で評判の良い本でも、今回掲載できなかったものは数多くあると思われます。この場を借りて、お詫びしておかなければいけませんが、それらは以後の改定版で反映させたいと思います。
ジャズ・ピアノ教本の変遷:1936年から現在まで
作者: 河合孝治,河合明
出版社/メーカー: TPAF
発売日: 2018/08/19
メディア: Kindle版
とある。

2018年の出版と言うことになっているが実際には2019年に出された本も乗っている。所謂書評であるがその書評の書評をジャズの素人である私がやってみるという段取りである。

まず筆者が急いで書いたので多数の誤字や印刷ミスがあるとのこと。これは最後の方に見受けられた。文章も論文調の理論家タイプではなく俗世間的に付け足し的な書き方なので反って肩がこらないで親しみが持てるが、実際の著者は既に十数冊の本を出していて作曲やピアノも弾く事実上の民族音楽とジャズの音楽学者である。

さすがに素人の私にとって知らない人物や専門用語なども出て来るがそれでも何らかのコメントを入れてみたいと思う。

ジャズの教本の歴史となると1936年からと言うことでさすがに古い歴史を持っている。それでどれだけ即興の極致に入れるかは別として、今までに膨大な情報の山が積み上がっている事だけは確かである。

人名としてアンドレ・プレヴィンとか出て来るとさすがにクラシックと共有しているので指揮者で活躍していると同様にジャズに頭から親しみを持ってしまう。しかしジャズではないけれどもTVで自分はオスカー賞に4度輝いたが、その前に16回ノミネートされて落ちていると正直に人生論を語るのは人間臭さが凄くにじみ出ている。

もちろんチック・コレアとかもキース・ジャレットなどはちょっとは知っているがクラシック・ピアノに出てきたからのであって普段は自分は自主的にジャズを聴く習慣はない。毎朝かけっぱなしにしているFMラジオの繋ぎに良く流されるので自然に耳に入ってくる程度であってその曲名も作曲者名も全く覚えてはいない。ドイツの音大には必ずジャズ科があるがそこに顔を出したことは一回もなく、ただ10年ぐらい前にボンで木曜日の夕方に街の広場で良くジャズ・バンドを呼んでやっていて立ち止まって聴いたことはある。

現代音楽家からのジャズを見るとやはり普通は調性はあるし、旋律はあるし、リズムはあるし、コードはあるしでどうしても音楽としての保守的に見えてしまう。しかしその最大の保守性はポップスに共通な繰り返しである。これがなくなるとジャズは即刻死ぬらしい。

今日の少子化の影響もあって大半のジャズの音楽学校は潰れているらしいが、クラシックが一般大学の役割に対して、売れれば手っ取り早く儲かるポップス系の音楽はやはり私立の音楽学校の役割である。大手の尚美学園はまだ残っているが少子化と大学の乱立には苦心しているらしい。

ドナウエッシンゲン音楽祭の2日目の夜のジャズ・セッションなどの練習を見たりラジオをオン・エアなどを聴くともうジャズと現代の境界がなくなるような団体を毎年探して呼んでくる。結局は何をもってジャズなのかの定義は現代音楽と同じく非常に混乱しているらしい。

例えばブルーノートと言う和声的な技法がある。これはクラシックの対斜、から来ているのがまざまざとわかる。和声学の対斜は半音が隣り合って間接的にぶつかるだけであるが、徐々にブルックナーはこれをカノン風で対位法化したり13の和音を半音でぶつけて、フィボナッチの数列からなるバルトーク対斜はまさにブルー・ノ-トの様にほぼ同時に鳴り易い。

それと即興音楽の直接関係はないが、即興は簡単に言ってしまうと音楽の話言葉に似ている。我々は普段即興で話しているが、それをピアノなどで音楽で閊えることなくやってしまうのが即興であると自分は教えていて、それは十分な訓練を経れば可能なのだとも言える。

例えばバッハに代表するバロック時代の即興例。当時の教会音楽家は礼拝の前に実際に前奏曲とフーガやコラール前奏曲の様に今残されている楽譜そのものの様に即興をやってのけた。なぜなら毎週規制の譜面に書かれたトッカータとフーガをさらっていくのが面倒だからである。その伝統は今でもドイツのAクラス教会音楽家の演奏によって礼拝で聴くことができる。今時バッハ様式の前奏曲とフーガを完璧にしても決して受けないのかもしれないが、今でも彼らが実際にアレグロの4声フーガを規則通りにできることは自分がシュトットガルトの学生時代に即興のレッスンを毎週1時間受けてみてまざまざとその実態を体験した。従ってバッハなどの今残っている楽譜はその演奏がたまたま良くできたのでまた聴いてみようと楽譜に残したに過ぎないことがわかってきた。

そのほかには通奏低音や転調の即興演奏があり、作曲科の入学試験や卒業試験に良く課せられる。これらも実際個人レッスンを受けてみるとその懐の深さに驚いたものだった。

この観点から見るとジャズの即興は実はその巨大な即興世界の一分野に過ぎないことがわかり一様式に過ぎなくはない。ジャズらしさも必ず関係者に会うとフリードリッヒ・グルダの様に皮肉的に言われるが、実際にはジャズの境界もそんなに明確にはないことがわかってくる。

従って後書きの「1冊の教本を完全に仕上げる」や写譜に繋がる「コピーの重要性」、「固定した価値観などはない」と言う教義は全く正しいことが良くわかる。即興の上手い下手はあるにしても、音楽の様式上の境界がない以上ジャズの様式の境界もないのは当然のことと言える。

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392. GO アルプス交響曲Sinfoniekonzert 12

 投稿者:S,K.  投稿日:2019年 7月10日(水)18時17分55秒
  Dienstag 09.07.2019, 20:00

1時間前の解説はWDR3のミヒャエル・シュトルークが出て来る。今日のプログラムは音楽の境界の経験をすると言っている。ウェーベルンの作品6が1913年、音列も少し使ってバシュメが初演したシュニトッケのヴィオラ協奏曲が1985年でその中にアルプス交響曲が入りすべては20世紀のいろんなスタイルの作品を抱合している。

ヴィオラ協奏曲はバルトークやヒンデミットでも有名であるが皆20世紀の作品である。ショスタコーヴィッチは晩年にヴィオラ・ソナタを書いてすぐ死んだ。このシュニットケの作品はトッカータとでもエチュードともいえる。BAsCHEの音列を使っているが、ヴォルガ出身のロシア系ユダヤ人にとって父親がフランクフルト出身でドイツとのつながりが特に深い。ダンス音楽の傾向もあり、映画音楽のキャラクターもある。特に最後の楽章はサロン音楽の情景も、ショスタコーヴィッチのような皮肉、最後に自らの葬送行進曲とレクイエムのエレジー。初演は1986年の西側のアムステルダム。そのほかの病弱時代の当時の作品はオペラ「阿呆との生活」がある。

ウエーベルンの作品6は1913年3月31日のムジーク・フェラインのニューイヤー・コンサートで初演?https://ja.wikipedia.org/wiki/6%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%93%81_(%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3)

他の曲はシェーンベルクの第一室内交響曲、マーラーの「亡き子を偲ぶ歌」、ツェムリンスキーやベルクの作品とも一緒に演奏されたため例の無調のために何時もの警察が出て来るスキャンダルが絶えなかったそうだ。音例、第4曲の葬送行進曲。

アルプス交響曲は冒頭の変ロ短調のクラスターは最後にも表れる。音例、最初の部分からコラールまで。「山が呼んでいる」、R・シュトラウスもワーグナーと同じ登山家で散歩好き。頂上のモティーフ前半はすでにブルッフの第一ヴァイオリン協奏曲の第二楽章に出てきた素材。

しかしこの定期のコンサートのチケットの平均価格20ユーロはいつ来ても魅力的だ!それで各定期3晩もできるのであろう。今回は今シーズン最後の定期で12回目、年に36回やる計算になる。ちなみに普通のオペラのオケの定期は2回ずつ年に10回だから年に20回。ケルンはフィルハーモニーのオケがないのでその分オペラが少なくコンサートの定期を多く持たせられる。

多分セッティングの都合で変則形式のシュニットケの協奏曲から始められる。要するにヴィオラが隠れるヴァイオリンをすべて抜いて音色的に豊かにするためにピアノ、チェレスタ、ハープ、チェンバロなどをヴァイオリンの場所に入れる。トランペット4の3管編成、打楽器7名、弦はヴァイオリンなしの0,0,8,8,7.

独特の微分音クラスター和音だが単三和音も後で引用的に頻繁に使われる。同じく引用的に調性カデンツもよく出て来る。グロッケンシュピールや小太鼓の使い方がショスタコーヴィッチ的。シンバル付きの大太鼓2でユニゾンではないので意図的に書かれいる。伝統と微分音の間を揺れ動く音楽。最後にブラームスのような葬送オスティナート。31分。

アンコールはユダヤ的な民族音楽を8人のヴィオラ奏者の長い音で伴奏して休憩。

作品6はせっかくアルプス交響曲で4管編成を集めたので当然ティンパニ3の初稿でやる。
どういうわけかヴァイオリンは16型だろうがコンバスだけは1人欠席したのか7人。この曲の第一曲は昔シュトットガルト音大のライナー・ヴェーヒンガーにゼミで半年間散々聴かせられて徹底的に言葉にさせられて喋らされたものだ。1分12秒、1分24秒、0分50秒、第4曲の葬送行進曲の鐘は舞台の裏らしい。舞台裏含めて打楽器奏者7名で4分22秒、2分24秒、終曲も舞台裏の鐘が入っている。1分15秒。

アルプス交響曲もコンバスは欠席された7人のまま。ホルンは最初は6人、日の出には使わないらしい。スコアは2冊持っていて相当記憶してるがこういうことは実演に接してオケの近くで実際に見ないとわからない。残りの2人は森のファンファーレ隊に行っている。3パートなのでもう一人要るのであろうが、舞台裏ではなく高台の客席の後ろなので12本の代わりに3人で済むらしい。更にトランペット2パート、トロンボーンはユニゾンで2人。この2人ずつはウェーベルンで6人も使ったのでそれぞれ余っている。

この曲は木曜日の昼の時間にそれぞれ半分ずつデュダメルとステンツだったかそれぞれ半分ずつフィルハーモニーで聴いた記憶がある。舞台のトロンボーンのアンサンブル隊がやたらと大きな音を出す。悪くはないが始終音を割るのでバカでかい。やはりコンバスが7人でも耳に染みるくらい唸りまくるのでヴァイオリンは指示通り18人は欲しいのかも?打楽器奏者6.カウベルだけは複数で舞台の両脇の通路の袖に用意。「危ない瞬間」にトランペットがピッコロに持ち替えもしないでC管のまま楽々完璧にEを出す。頂上手前になってやっとホルン2が帰ってくる。頂上のシンバルは2人。49分37秒。そのまま中央駅の電車に突進。
?
38,-
30,-
24,-
16,-
14,-
9,-
Z: 16,-
zzgl. Vorverkaufsgebühren

Pause gegen 20:45 | Ende gegen 22:10
Mitwirkende
Lawrence Power Viola
Gürzenich-Orchester Köln
Nicholas Collon Dirigent
Programm
Alfred Schnittke
Konzert für Viola und Orchester (1985)

Pause

Anton Webern
Sechs Stücke für großes Orchester op. 6 (1909)

Richard Strauss
Eine Alpensinfonie op. 64 TrV 233 (1899?1915)
Tondichtung für großes Orchester

Veranstalter
Gürzenich-Orchester Köln
Begleitprogramm
Einführung in das Konzert
19:00 Uhr, Empore

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391. 「ゾフィーとこの世界の秘密のささやき」ボン7月5日

 投稿者:S,K.  投稿日:2019年 7月 6日(土)06時17分14秒
  SOPHIE UND DAS GEHEIMNISVOLLE FLÜSTERN DIESER WELT
ab 9 Jahren

その前に講談社の3月の出版案内書を電車の中で読みながらボンに着く。現在池袋のジュンク堂に積み上げられてる日本だけじゃなくてヨーロッパでも大人気のマルクス・ガブリエルが寄稿している。やはりこの哲学者は我々一般人にわかりやすい文章を書く。現代の分析について矛盾は全くない、その通りだが、何でこんな簡単なことが今まで語られなかったのであろうか?可笑しさのほうが先行してしまう。ボン大学の教授だがその読んでしまった出版案内とコンサートのチラシなどを要らないので、ボン大学のチラシのコーナーに何時もの様に置いてからシューマン・ハウスまで30分かけて歩いていく。何時もの楽譜目当てでマックス・レーガーのヴァイオリンソナタやシベリウス、ボリス・ブラッヒャーのバイオリンとピアノの曲など6冊を2ユーロで買ってカバンが何時もの様に重くなってしまう。

ケルンの演劇と同じくボンではコンテナの中で子供のための音楽劇をやる。本当にコンテナ一個でやるので客が最大20人ぐらいしか入らない採算を無視した丁寧な音楽劇である。今回は最後の公演で子供10人、大人数人の少なめ。

中に入ると暑いので水を持って入るように言われるが、持っているのはスーパーで買ったコーヒーだけ。やはり鉄の塊なのでエアコンが付いていても本物のコンテナは暑い。6時ちょうどに始まるが、登場人物はゾフィーと呼ばれる役者の女性と多分ベートーヴェン・オケから駆り出されてのであろう一人のトロンボーン奏者の二人だけ。これで1時間の公演をしてしまう。音楽劇なので入って早々何かしらの音を出さなければならない。まだ楽器などは両者とも使わず口などを主に利用したケルパー・ゲロイシュ一色。ラッヘンマンなんかと違うのは子供に慣れてもらうために何度も繰り返すこと。ポストセリエルの大衆への失敗は雑音の素材も含めて繰り返しのないセリエル化を保持してしまったことであろう。それをやめたサルバドーレ・シャリーノは現在一番成功しているがこれはあくまでも売れ行きの問題であって質の問題ではない。もちろん体の音の出る部分はすべて利用する。小さな雑音はマイクを通す。録音やライブエレクトロニックも利用する。トロンボーンはあらかじめ入れといた自分の音と二重奏もする。更に歌手でない女性の声も歌ってしまい3和音を作り出してはもってしまう。

それが終わるとやっと本文に入る。トロンボーン奏者は自分の楽器で更に特殊奏法を追求。循環呼吸やクラリネットのマウスピース、ベダルトーンなどはお手の物だ。女性の役者は詩のような物語を語り始めるが、トロンボーンの音がどんなにいろんな弱音器をかぶせても更に手で蓋をしても強力なので良く聴こえない、始終マイクを通さないとちっともバランスが取れない。

コンテナはこの音楽劇のために屋根とかすべて改造されているが、いろんな瓶を並べてそこに電球を入れたのは効果的で予算が安くつく格好のアイディアである。天井に多くにチューブをぶら下げているが、これはすべて後でトロンボーンと繋いで付加のバルブを通して音を出させる。または水の中に入れて循環呼吸で泡をブクブクさせる。作曲者が書いてないのでほとんど役者2人による即興音楽劇だと思うがなかなか下手な現代オペラよりも面白い。明確な楽譜はなくジャズ的なコンツェプトだけでやっているものと思われる。

最後に箱の中に何が入っているか開けて見せる。中身は今までの音楽劇の自分たちの縮小人形だった。58分。

Letzte AufführungFamilienvorstellung
05 Jul
18:00 H
Theatercontainer
Hörtheater für vermischte Ohren nach SOPHIECHEN UND DER RIESE von Roald Dahl
Und dann war er plötzlich da! Acht Meter groß war er. Seinen schwarzen Umhang trug er so elegant wie ein vornehmer Herr. Die dünne Trompete hatte er in der Hand…

Sophiechen liegt wach im Bett. Sie kann nicht schlafen. Sie lauscht in die Dunkelheit. War da was? Nein: Lautlose Stille - kein Geräusch!
Klingt so die Geisterstunde? Nach nichts? Und wenn, was ist das? Oder gibt es das nicht: Nichts! Stille! Vielleicht muss man aber auch nur ganz genau hinhören, immer tiefer in die Stille hinein, hinter die Dinge, die sich (nicht) klingend verwandeln. Große Ohren könnten helfen, riesige Ohren - dann könnte man vielleicht sogar hören was nicht zu sehen ist: Gedanken, Gefühle, Sehnsüchte und vor allem Träume!!!
Besetzung
Schauspielerin: Nadine Schwitter
Musiker: Matthias Muche
Regie: Sebastian Bauer
Kostüm: Tobias Maier
Video: Yves Maurice Itzek
Bühnenbild:?Sebastian Bauer
Dramaturgie: Angela Merl und Inga Waizenegger
Produktionsassistentin:?Inga Waizenegger
Produktionshospitantin: Paula Veenema

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390.WDR サラステ・マーラーの6番、6月29日

 投稿者:S,K.  投稿日:2019年 7月 1日(月)05時27分21秒
  サラステのプレ・さよならコンサート。その前に日本文化センターで「赤い天使」を見るが感慨深い映画だった。

いつもの様に時間前に解説がある。ミヒャエル・クルーゲレケと言うWDR専属の解説者が出てきた。放送局の専属の評論家・ドラマトゥロギーの人材も非常に厚い。サラステはこの常任時代に9年間216回のコンサートを指揮したらしい。まずなんでこの25歳でコペンハーゲンで作ったグリーグのコンツェルトとマーラーの6番組み合わせたのか理由を述べる。ノルウエイの作曲家だけれども学んだのはライプチヒ。マーラーはチェコの生まれのオーストリア人だけれどもユダヤ人。両方ともドイツ系の作曲家ではある。40歳で作った6番のほうはラットルがベルリンフィル辞めるときに選んだ曲でもある。両方の調性はイ短調。協奏曲のほうはシューマンのイ短調の影響を受けているが、妻のクララの作品7の協奏曲もイ短調。マーラーの妻も作曲家としては有能であった。マーラーの場合は悲しき調性で寂しさが漂っている。グリーグはシューマンの協奏曲をクララの演奏でライプチヒの音楽院で実演を聴いている。

ここで協奏曲の音例。第一楽章の冒頭。第三楽章の冒頭。彼の父は病気で64歳で亡くなる。この曲を昔ブラームスハウスで住んでいた時にバーデン・バーデンフィルハーモニーで聴いた覚えがある。有名でもそんなに易しくはなく新人のピアニストがやっと弾いてた。

次のマーラーの謎解きで問題なのは終曲がカタストロフで終わるので前楽章の予告を探すことに力が注がれる。音例。第一楽章の冒頭。この時点でマーラーがグリーグの協奏曲を聴いている。問題は第一楽章と第二楽章の始めが同じキャラクタで始まること。それで作曲者も混乱して第二楽章と第三楽章を交換したりしているが、これを中心動機、日本語ではモットーの一部とみれば固定観念や循環形式的な理解で納得はできる。音例、光明の箇所、展開部の後半はアルプスのアルムの場面。音例は第一楽章のアルマのためのコーダ。第三楽章だけが変ホ長調で異端的調性だがオアシスになる。終曲は消極的な終わり方。ハンマーのシーンで世界の滅亡を予告されているがその萌芽は前楽章で出揃っている。

本番のギルトブルクはロシア・ユダヤ系のピアニスト。最初の下降分散和音が濁った。暗譜はしているがピアノにタブレットを置くのは最近の流行か?今日のコンマスはブルーメンシャインが座っている。ウィーンの国立歌劇場クビになったのか調べると名前は両方入っているので兼業らしい。14型の弦楽。ファゴットの大きな音を初めてして伴奏は控えめではなくみんな大きい。第二ヴァイオリンだけ右。2楽章もかなりの伴奏力、6分。そのまま3楽章で9分53秒。アンコールはシベリウスの悲しきワルツ、北欧系の音楽はいつも寒しい。

マーラーは16型で何時もの最終第三稿。最近はオイゲンブルクの第一稿のスコアが世界中に出回りすぎているのでオーケストレーションの違うそっちの方をやって欲しい気持ちにかられる。精神統一をするまでもなくすぐに始める。この曲は当時ウィーンでバーンスタインと練習から朝9時の複数の録音の取り直しまで付き合って当時の最高の演奏を学んだ覚えがある。木管が非常にきつい音で弦楽器群に混ざってくる。どうしても平土間で聴いているとティンパニが底から突き上げるような音響になるが、上で聴いているとそれほどでもない。

緩徐の部分は北欧らしくテンポが落ちないのでテンピが一様で生理的納得しにくい。チェレスタの音が大きく新鮮に聴こえる。第二ティンパニはウイーン国立歌劇場の「バラの騎士」の最後のようにトライアングル持ち替え。23分32秒。第三稿の第二楽章もテンピが速め。12分00秒。第三楽章もアンダンテよりも事実上のモデラートのテンポ。13分00秒。終楽章もそんなにスケールが大きいわけではない。カウベルは手の空いている打楽器奏者5人でやる。更に舞台裏の鐘とカウベルも鳴る。ルーテも複数。3ベッケン。金管が静かすぎる。結局2人のハープは全然聴こえなかった。3回目のハンマーも打っている。29分10秒。
Grieg & Mahler
Samstag 29.06.2019, 20:00

?
45,-
36,-
27,-
18,-
16,-
9,-
Z: 27,-
zzgl. Vorverkaufsgebühren

Pause gegen 20:40 | Ende gegen 22:00
Das Konzert im Radio: WDR 3 live
Mitwirkende
Boris Giltburg Klavier
WDR Sinfonieorchester
Jukka-Pekka Saraste Dirigent
Programm
Edvard Grieg
Konzert für Klavier und Orchester a-Moll op. 16 (1868)

Pause gegen 20:40

Gustav Mahler
Sinfonie Nr. 6 a-Moll (1903?05; rev. 1906?07)
"Tragische"
Veranstalter
Westdeutscher Rundfunk
Begleitprogramm
Einführung in das Konzert
19:00 Uhr, Konzertsaal

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389.ボンの「シチリア島の夕べの祈り」6月27日DIE SIZILIANISCHE VESPER

 投稿者:S,K.  投稿日:2019年 6月29日(土)18時08分9秒
  このオペラもめったにやらない代物。33年目にやっとボンで当たった。「ドン・カルロ」のように長く4幕版に省略して上演できない3時間15分の財政に壁に突き当たりやすい長編グランドオペラである。

オーケストラはベルリオーズ様式のそれ。コンサートのように金管が正面。木管は左横だが、弦は第一、第二、ヴィオラ、チェロ、コンバンスの順でコンサートみたいに並んでいる。10,8,6,6,4トランペットとコルネットそれぞれ2本ずつにイタリア風のチンバッソ。

アバドの「ドン・カルロ」のようにフランス語原典版で上演するので曖昧にしか聴こえないが発音のコーチもこの前死んで新しく変わったせいもあるのかも知れない。まずテノールの声が詰まっている。バリトンはその分声量でカバーしているという感じ。単純な装置だがコスチュームは意外と歴史的に作ってある。

第一幕、合唱の前に邪魔になる装置や登場人物で指揮者となかなか合わないが棒はそれでも音楽をしっかりと固めている。ひとえに演出のせいだと思われる。35分。

第二幕。合唱がなくなりソロが多くなるがカデンツァは完璧に出来上がっていない。作曲者が後でイタリア語版に直すわけがわかったような曖昧な発音。小さな規模のバレエ団を今回も借り入れて始終躍らせていてスケールが小さい。合唱の前で踊らせるのでまた合唱と棒が合わなくなる。33分。

第三幕、やっとフランス語が徐々に聴き取れるようになったが不自然がまだ残る。処刑のための骸骨でその分効果は上がる。50分。

1回だけの休憩の後の第四幕。地味な蝋燭の舞台。デュエットの終わる前にフライングで拍手が鳴ったので指揮者が聴衆にやらないように睨みつける。文字通り四幕の終わりは壮大に終わる。35分。

第五幕。有名なアリアは傑作であると思うし最高の歌唱とは言えないまでも名演になったと思う。舞台の部屋を狭めることによって虐殺を演出。最後は爆弾を見せてテロみたいにJ843F-R4YEP-GNECE-ZK7HZ
吹き飛ばしたことにするらしい。27分。丁度3時間で全曲が終わった。
LES VÊPRES SICILIENNES


27 Jun
19:30 H

29 Jun
19:30 H

05 Jul
19:30 H

GIUSEPPE VERDI (1813 ?1901)

Oper in fünf Akten Libretto von Eugène Scribe und Charles Duveyrier nach dem Libretto Le Duc D’albe aus dem Jahr 1839
??In französischer Sprache mit deutschen Übertiteln ?
Koproduktion mit der Welsh National Opera, Cardiff
Dauer: 3 ? Stunden inkl. einer Pause nach dem dritten Akt
Als ?Sizilianische Vesper“ werden die Massaker bezeichnet, die um Ostern 1282 in Palermo von der einheimischen Bevölkerung an den französischen Besatzern unter Karl I. verübt wurden. Der Widerstandskämpfer Henri ist in Herzogin Hélène verliebt, deren Bruder vom französischen Gouverneur Guy de Montfort (der historisch ein Engländer war) getötet wurde. Hélène möchte Henris Liebe erwidern, wenn dieser den Tod ihres Bruders rächt. Gemeinsam mit Jean de Procida wollen sie den Umsturz in Sizilien herbeiführen. Henri erfährt durch Montfort, dass dieser in Wahrheit sein Vater ist. Während eines Maskenballs verhindert Henri einen Anschlag auf Montfort, die Revolutionäre werden verhaftet. Um weiteres Blutvergießen zu verhindern, setzt Montfort zum Zeichen des Friedens die Eheschließung zwischen Henri und Hélène an. Doch die Hochzeitsglocken dienen als Signal für das von Procida in die Wege geleitete Gemetzel an den Franzosen: die ?Sizilianische Vesper“.
Obschon er bereits mit JÉRUSALEM eine französischsprachige Fassung seiner LOMBARDI ALLA PRIMA CROCIATA vorgelegt hatte, war dieses große fünfaktige Werk das erste, das Verdi gezielt für die Pariser Opéra schrieb, wo es tatsächlich 1855 auch seine Uraufführung erlebte; hier bedient er sich aller Mittel, die zum Stil und den Traditionen der Gattung der grand opéra gehören ? ohne freilich dabei seine eigene Handschrift zu verleugnen.
Nach dem Zyklus mit vier Frühwerken des Komponisten eröffnet die Produktion von LES VÊPRES SICILIENNES eine neue, von Starregisseur David Pountney entwickelte Reihe mit drei zentralen Werken aus der mittleren Schaffensperiode.
Einführungsmatinee
OPERNFOYER | SO, 5. MAI 2019, 11 UHR
Moderation: Uwe Schweikert, Musikpublizist und Verdi-Forscher

Besetzung
Hélène
Anna Princeva
Ninette
Ava Gesell
Henri
Leonardo Caimi [P] / Michal Lehotsky [9./15./23.06.]
Guy de Montfort
Mark Morouse / Davide Damiani
Jean Procida
Pavel Kudinov
Thibaut
Jeongmyeong Lee
Danieli / Mainfredo
David Fischer [P] / Woongyi Lee*
Robert
Giorgos Kanaris
Le Sire de Bethune
Leonard Bernad / Alexander Milev [15.06]
Le Comte de Vaudemont
Martin Tzonev
Tänzerinnen und Tänzer
Jessica Akers
Hellen Boyko
Paula Niehoff
Javi Ojeda Hernandez
Jack Widdowson
Hayato Yamaguchi


Chor des Theater Bonn

Extrachor des Theater Bonn

Beethovenorchester Bonn



Musikalische Leitung
Will Humburg
Regie
David Pountney
Bühne
Raimund Bauer
Kostüme
Marie-Jeanne Lecca
Licht
Thomas Roscher
Choreographie
Caroline Finn
Choreinstudierung
Marco Medved


Regieassistenz und Abendspielleitung
Tibor Torell
Musikalische Assistenz
Hermes Helfricht
Studienleitung
Julia Strelchenko
Korrepetition
Igor Horvat, Miho Mach
Bühnenbildassistenz
Ansgar Baradoy
Kostümassistenz
Dieter Hauber
Sprachcoach
Sylvain Teston
Yannick-Muriel Noah
Choreografiehospitanz
Margherita Dello Sbarba, Vincent Wodrich
Korrepetitionshospitanz
Jinsil Choi
Inspizienz
Karsten Sandleben
?
*Student/in im Rahmen der Kooperation mit der HfMT Köln / ** gefördert von den Opernfreunden Bonn

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388.6月22日、韓国と日本の芸大のピアノ?ジョイント?コンサート

 投稿者:S,K.  投稿日:2019年 6月29日(土)17時57分6秒
  両国に国立の芸大は一つずつしか無いらしい。ここまで日韓は似通っている。
イ?チャンギュの Hob- 16:46. トップだけあって流石に素晴らしい安定感。音がもつれるのはテクニックではなく慣れない音響の問題であろう。このホールは必ずしもリサイタル向きではない。
...
上田の月光ソナタ。昔の芸大のピアノ科入学試験曲。果たして40年経った今でも解釈の余地はあるか?
ムン?ジスの子供の領分。1-2-3-6.本人が頷くぐらいの言わばこういう曲である。多彩な響き。
京増のショパン作品22.雨だれのような前奏。有名な経過句。派手なワルツ。
秋山のベートーヴェンの27番は10度に渡る伴奏が難しいが教育科の入学試験でもよく彈かれる。
ユ?テウンのラフマニノフ、モモ?ムジコー、作品16の1-2-4.協奏曲のように音が多すぎてエネルギーの消耗が早い曲。
尾城のリスト。準例の年s161-1.交響詩に見られる山に登るような素晴らしき和音の移行。とラ?カンパネラ。
イ?ジェユのラヴェルのラ?ヴァルス。ソロ版はめづらしく普通は連弾。色彩とブリリアントな多彩な効果。

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387.コンポージアム2019,オペラシティ、武満作曲賞、6月9日

 投稿者:S,K.  投稿日:2019年 6月29日(土)17時45分53秒
  今回は4人のファイナリストのうち3人が中国人。匿名でフランス人が審査してこうなった。中国人はいま黒人と一緒に東京の超高層ビルも作っているが電気自動車やITだけじゃなく作曲界の技術の発達も毎年目覚ましい。民音指揮者コンクールと同じように国際的になるとそれだけ日本人の入賞は難しくなるのはスポーツだけではあるまい。
ゲンの作品は二管で12型。形式は単純でエントロピー的な展開? 発展法。リゲティ進行、クライマックスの意識、シンセサイザーの導入、音が止まると反って音楽らしく聴こえる。混沌な中から日本の作曲家のようなオステイナートが出現する。14分。
...
2番目のジンの作品も似てはいる。14型。劇的に始まるが使う技法は同じらしい。特に同じパッセージの繰り返し。マヌリのように音が飛ばないから演奏は難しくない。12分。
東フィルは昔と比べても弦はそんなに強くなっていない。したがって管打をマスキングするためにニューヨーク? フィルのように雛壇を用いないのであろう。
リントナーはトリルで始まる。ラテン?アメリカの作家としては珍しく曲が乾いていない。トレモロでもきちんと微分音で音を重ねている。弱音期のようなものでチェロの弦を擦るが何らかの音が出たとは思えない。明らかに日本や中国の作曲技法の影響は受けていない独特な作品である。チェロとコンバスの末端でカトリックのコラールのようなものが。14型、13分。
リュウは増幅のためかスピーカーを使う。かなりのドイツ語法はラッヘンマンを思わせるが特殊奏法を多用しているわけではない。悪魔のような第一楽章、準悪魔のような第二楽章、準々悪魔のようなグリッサンドを多用したかなり静かな第三楽章。最後に晴れ渡った長3和音はシベリウスを思わせる。10分。
...
さいごに審査結果はゲン、リンドナー、リュウ、ジンの順。自分はリンドナー、リュウ、ゲン、ジンの順。リュウのドイツ的なあらっぽさがフランス人には合わなかったらしい。
返答でゲンは日本語でスピーチした。グラーツでヒューラーに習っただけで日本に住んでいないのに武満が好きで自分で密かに勉強したらしい。

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386.5月26日、文京区民オーケストラ定期演奏会。

 投稿者:S,K.  投稿日:2019年 6月29日(土)17時39分3秒
  ここの前指揮者で作曲家の松下功氏の追悼演奏会。最後に聴いたのはやはり東京でISCMのコンサートでアラバスターだった。入場の際招待券貰ったので買わなくて済んだ。ロビーに最初の曲の楽譜が展示されている。当時と晩年までのスタイルがあまり変わらないアカデミックさは変わらない。フランス風なテクスチャー。3 W, Cb.6 の14型の涅槃交響曲的な音響。WWのパッセージが出てこない。アラバスターにもあったティンパニ上のシンバル。混ぜるともう聴こえて来ない。一柳風のオステイナート。打楽器5、ハープ、ピアノ。松村禎三風名rhythm。武満構造法。ユンのような極東に取り残されたような旋律型。バルトーク対斜のようなブルーノート和音ヴォツェックのような長三和音の増減法の終わり方。26分。

後半のラプソディー?イン?ブルーはどこでもやるポピュラー音楽。音響は悪くないが後ろの方ではかなり濁る。21'50", Ymaue,Tsuchiya,BKO.アンコールはロマンチックな組曲。全然松下らしくない。
コンバスは七本とも5弦、トランペットは二本ともロータリーで文京のあマチュアの楽器の充実ぶりがわかる。13’35”。ヴィブラートを点けないコンマスのソロはこの曲では初めてだ!8'45" 。眠りと活性作用のバランス感覚。5'15"。離れている楽器ほど合いにくい。クワジ?アレグロ。アッチェレランドは難しい。17'55"。
アンコールは松下功の通りゃんせ。外山雄三のラプソデイーみたいなもの。ホルン7、東京臭い音楽。

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385. GO, 5月7日

 投稿者:S,K.  投稿日:2019年 5月 8日(水)18時50分10秒
  まず田舎の終点駅の電車に乗る。黒人がやってきて英語解るかと聞かれる、ウンと言うとこれはジークブルクに行くのか?と聞く。行くと答えるが、これから来る急行のほうが速いからそっちの情が良いよと言う。しかし彼は無視して乗り換えらない。黒人は皆そうだからそのままでいいかと思う。どこの田舎でも黒人が身近になった。
Récitations Dienstag 07.05.2019, 12:00
アペルギルの主にソロ・ピースに子供たちが振り付ける公演。演奏担当は皆音大の学生がやる。このようにして子供たちは皆幼い時から無調の音楽を体を使って抵抗なく覚えていくのは非常に効果的で効率よく我々の遺産を伝える事ができる。黒人の子供も数人交じっている。今日も作曲者もどういうわけか来て見ている。第1曲はクラリネット、トランペット、フルートの曲。バランスもあるだろうが弱音器を遣うのが好きな作曲者。ストラヴィンスキー風な和音構造。第2曲、ピアノ・ソロ。べリオのアンコールピースの「リーフ」に似ている。3曲目、歌のソロはべリオのセクエンツァⅢの親戚でフランス語。第4曲はピアノとマリンバで強い和音で短い曲。第5曲目、ヴァイオリンソロはフラジェオレット多用の短い曲。第6曲は第4曲の続きで細かいパッセージとの交差。第7曲も歌の第3曲の続きで歌謡曲のように後ろで踊る。第8曲はヴァイオリンとヴィオラとチェロのフラジェオレット多用の曲で短い曲。実質全6曲、45分。
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Eintritt frei!
Schülerinnen und Schüler tanzen zu Werken von Georges Aperghis.
keine Pause | Ende gegen 12:30
ACHT BRÜCKEN Lunch wird ermöglicht durch die OTTO FUCHS KG und die Schüco International KG.
Mitwirkende
Studierende der Hochschule für Musik und Tanz Köln
Corinna Vogel Künstlerische Gesamtleitung
Schülerinnen und Schüler der Klasse 5c und der Klasse 10 der Kaiserin-Augusta-Schule Köln
Programm
Georges Aperghis
Triple (2010)
für Flöte, Klarinette und Trompete

Georges Aperghis
Quatre Pièces fébriles (1995)
für Marimba und Klavier

Auswahl

Georges Aperghis
Récitations (1978)
für Frauenstimme

Georges Aperghis
En un tournemain (1987)
für Viola

Auswahl

Georges Aperghis
Pièce pour jeunes pianistes (2009)
für Klavier

Veranstalter
ACHT BRÜCKEN gemeinsam mit der Hochschule für Musik und Tanz Köln

夜まで暇なので図書館でアリベルト・ライマンのオペラ「メデア」のフル・スコアを見る。完全にオペラの1大様式に到達している。更に毎日新聞を電子版で見る。ロシアではプーチンを批判をすると侮辱罪で罰金取られて、プーチンを褒めてもフェイク・ニュース罪で罰金取られる独裁国になったらしい。その後途中フランスの小学生の修学旅行とみられる団体がたくさん路面電車から出て来る。音大に行ったら学生オケまでコンマスのオーディションするそうだ。世の中どんどんプロ化する。

夜は解説から。ソリストが出てきてアコーディオンは元々がボタン式で鍵盤式は戦後失業したピアノの先生たちがアコーディオンも教えられるように改良したものらしい。音例としてべリオのセクエンツァXIII.シャンソンでヴァイオリン協奏曲のように名人芸らしい。両方鍵盤があるのでステレオ効果。アペルギスの曲にはウッドブロックだけじゃなくてヴィデオまで要求するのがあるらしい。作曲者が仕事するときソリストが弾く場面の霊感が必要なのは言うまでもなく、技巧の限界まで行くのも当然だ。この30分かかる曲はオルガンも入っていて、その音色の微妙な違い、オルガン、アコーディオン、(鍵盤・ムント)ハーモニカの違いを聴き分けられたら良いらしいが、自分としては更にここに笙(中国のSheng)も入れたい。スーパー・プライベート・シアター。古楽と同様な新世界を現代音楽にも演出する。
バンドニオンも演奏できるかの問いにできないという答え。全然違うらしい。テクニック的に部品が6000もあるアコーディオンのほうが桁違いに複雑で多いようだ。

実際の協奏曲ではこの前のエチュード同じく4管編成にオルガンが付く。いつもの平面作曲法で28分。自分の管と打楽器を徹底的に排除した弦合奏だけのアコーディオン協奏曲のほうがずっと出来が良いと思った。しかし弦は12型だった。

次のブルックナーは2管編成なのに今の協奏曲やオペラとは逆に16型。さっきの協奏曲とは正反対。最近放送響も聴かされてこればっかり聴かされる。現代音楽の指揮者なので特にテンポが休めず落ち着かないので期待できないが、第一楽章は3連符からテンポが落ちる。しかし木管は限度があるにしても金管に対して弦が強すぎる。16分10秒。アダージョのそんなにゆっくり始まってはいないと思う。第三主題は葬送行進曲ではなくて普通の行進曲のように聴こえる。それでも後半テンポが落ちて18分15秒。スケルツォはティンパニに硬い撥を使う傾向は変わっていない。変なバランスと矛盾。8分30秒。フィナーレは金管が出てきて弦とバランスが良くなってきた。特に経過部はじっくり丁寧に行かせる。更にコーダの最後はテンポをさらに落とすのがで良い解釈の一つ14分25秒。欲を言えばベルリン・フィルやウィーン・フィルは最初から完璧なバランスでやれる。57分20秒。暗譜でやっているので自信があるのだろう?
Georges Aperghis: Konzert für Akkordeon und Orchester
Dienstag 07.05.2019, 20:00
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Gemeinhin verbindet man mit dem Akkordeon eher Folkore als Kunstmusik, und diesen rustikalen Charakter will Georges Aperghis nicht ganz verleugnen. In seinem Konzert bewegt sich das Soloinstrument wie ein Fremder durch die große sinfonische Welt, bisweilen an die Hand genommen von seiner respektableren Verwandten, der Orgel. Die spielt, obwohl sie nicht spielt, auch in Anton Bruckners Sinfonik eine bedeutende Rolle: als Vorbild für die kirchlich-weihevolle Stimmung mancher Abschnitte, vor allem aber für die Registrierung der Klangfarben und eine grandiose Raumwirkung.

Pause gegen 20:35 | Ende gegen 22:00
Das Konzert im Radio: Dienstag 21.05.2019, WDR3 Konzert, 20:04

Mitwirkende
Teodoro Anzellotti Akkordeon
Gürzenich-Orchester Köln
Emilio Pomarico Dirigent
Programm
Georges Aperghis
Konzert für Akkordeon und Orchester (2015)

Pause

Anton Bruckner
Sinfonie Nr. 6 A-Dur WAB 106 (1879?81)
Veranstalter
Gürzenich-Orchester Köln Begleitprogramm
Einführung in das Konzert、19:00 Uhr, Empore

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「明るい記事」だけ求める中国 不正暴いた記者は去った:

 投稿者:S,K.  投稿日:2019年 5月 6日(月)22時57分53秒
  朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASM4K5SJZM4KUHBI03K.html

今に日本もアメリカもEUも世界中が極右のせいでこういう社会になる

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